モンゴルの残滓
人類学/探検記の傑作として名高い一冊。
アフガニスタンの辺境地域へ、モンゴル人の生き残りを求めて旅をした記録。当時、モンゴル人は日本人の祖先ではないかとされ、注目を集めていた。そしてアフガニスタンのモゴール族は、チンギス・ハンとそれに続く西方への大遠征時代に取り残された人たちとされ、古いモンゴル語を留めている点が貴重だったのである。
この旅では、著者はサポート役に徹している。交通手段の手配、現地役人との交渉などを務めている。しかし、そのぶん客観的に「モゴール族」が眺められたようで、その歴史や周囲の部族との関係などが推理小説のように解き明かされていく。そのあたりは、さすがと思わされる。
しかし、いまとなってみると、それほど優れた本ではないように感じられた。研究としては成果を残さなかったし、探検記としても魅力に乏しい。また、文章に難のある点が引っかかった。
少し残念。
梅棹人類学の原点
この記録は特筆に価する報告である。それは探検という行動のもつ魅力を示してあまる所が無い。探検というロマンチックだが、生死の危険を伴う行為は、人類学、民俗学、古言語学、などの好奇心溢れる若い探険家にとっては、居ても立っても居られないほどの魅力を秘めている。梅棹氏の旧制三高時代の思い出を読めば、彼が探検に異常なほど魅かれる理由がわかる。
彼は、京都一中から三高時代にかけて、山岳部に所属しほとんど山に入り浸りの学生時代をすごした。探検家としての、感性、その魅力の真髄は、そこで体得され且つ磨かれたのであろう。
梅棹氏の最初の本とでも云いうる「モゴール族探検記」は日本人の起源を探る為の、一つのケーススタディとして、文化・技術人類学、言語学の調査を進めることにあった。
アフガンは国際的な概念では、一つの国であるが、日本人が常々意識している国民国家とは異なる、多民族国家(氏族・部族連合)であり、その中で、民族というアイデンティティ(自己存在の認識基盤)が絶えず揺れ動く不安定な、政治・文化上に存在している。その中には、部族至上主義者も民族共和主義者も、かならず存在する。日本においても幕末はそうであったし、特に文化的統一が遅れた地域では、その様な例に事欠かない。
中世モンゴル語を専攻する、親友、山崎忠博士のような、極めて優秀な言語学者と共にフィールドワークをすすめたこの記録は、やはり他には見られない民族学報告である。また、フィールドワークで得た情報の整理の仕方、京大式カードの手法などは、この様な野外における調査体験や失敗経験の成果なのかも知れない。この新書は、五十年近い年月を経てなを、文明科学者・人類学者、梅棹忠夫先生のこなれた名文と共に今も光を放っている。
今のモゴール族の状況は如何に
モゴール族とはアフガニスタン奥地に居住するモンゴル人の末裔。 幻の民といわれていたが、著者らの探検によって再び見いだされた。探検といっても学術探検隊であるから、調査もしなければ意味がない。 モゴール族に会うまでも苦労をしたが、折角会えたモゴール族との間になかなか当初の意図のような調査が進まない。 言語調査をしようにもモゴール語話者がほとんどいない。 文化も衰退しきっており、独自のものがほとんど残っていない。 そんな困難な状況からモゴール族の姿を復元しようと努力する。複雑な民族関係や村内の勢力関係などを徐々に理解し、その関係の中をうまく渡り歩いてゆこうとする過程は読み応えがある。 またモンゴル帝国の侵略者の末裔が次第に土着化し弱体化、かえって新民族との抗争に敗れていく衰退の過程を解き明かしている。 現在、次々と民族や言葉が地球上から失われている。 モゴールも過去の存在となってしまうのだろうか。 現在のモゴール族の状況も是非知りたいものである。
いわゆる探検記としてオススメ
民族学者である筆者がアフガニスタン内に残ったモンゴル人の末裔を探し出す探検記。 人々の描写が生き生きとしていて、辺境の地での人間の営みが鮮やかに描かれている。 アカデミックな本ではないにせよ、スラっと読めるし面白いのでおすすめです。
岩波書店
文明の生態史観 (中公文庫) 文明の生態史観ほか (中公クラシックス) 日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー) 文明の生態史観はいま (中公叢書) 知的生産の技術 (岩波新書)
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