机の上に常備したい本
とても素晴らしい直感に満ちた本です。
つまらない論理で解説することははばかられます。
新たに日々の生に「さらにあらたに」向かう勇気を与えてくれます。
本書に触れると日常に疲れた心にインスパイアするものがあります。
永劫回帰というとてつもない観念、でもそれはもしかしたら、人は人生の中で何回か感じていることであると思います。
机の上に常備したい本です。
何に苦しみを抱いたのか
「永劫回帰」「非同情」「超人思想」はとても大切な考えなのですが、紋切り型ですべて語られるのは彼に失礼だと私は考えています。
思想が生み出される背景には、絶対にその人間が苦悩した問題意識から発せられるものです。人の立場にたって考えることは不可能です。けれども、他者から理解されるうえで、もし苦悩して生み出されたものがごみのように扱われているとするならば、それはおかしなことだと私は考えます。彼と同じ苦悩を味わうことはできません。人間はそれぞれの実存に根ざしているからです。けれども問いに直面し、考えるという点ではみな同じです。「何に苦しみを抱き、そう表現しなければならなかったのか」そのことに私の関心は向けられています。
模範的価値・理想的価値を知る人間は狭隘な人間自身・自分自身を信仰しているにしかすぎない、したがって人間はある決められた定義を与えられた、またある枠組みで括られるような人間として存在するのではなく、人間は人間を超え出る存在だということです。「わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは乗りこえられるべきあるものである。あなたがたは、人間を乗り越えるために何をしたか。およそ生あるものはこれまで、おのれを乗り越えて、より高いものを創ってきた。ところがあなたがたは、この大きい潮の引き潮になろうとするのか。人間を乗り越えるより、むしろ獣類に帰ろうとするのか」人間は神という不定形で超越的なものから出発するのではなく、人間自身を地盤において今ここにある人間自身から出発することを要求しているということを忘れてはいけないと思います。
女だらけの世界で育ったニーチェ
ニーチェは、私にとって「感化剤」でした。 特に本書は近くの本屋などで普通に置いてあるので、手に入りやすいです。私がニーチェの本を初めて読んだのは本作ですが、 すんなり入れました。 その後ニーチェに興味を抱いて、哲学全体に関心が湧き始めたのですが、今ではニーチェは私の中で死んでいます。 ニーチェの問いかけは、20世紀への予言でもあり、後のフーコーやデリダやバタイユなどのフランス哲学者にも影響を与えましたが、 今現在どのような評価がニーチェに与えられているか、 多面的に把握した上で、ニーチェという一人の人間を理解すべきです。 そうでないとナチス政権下のヒトラーユーゲントと同じように、 ただ「闘争的な自己愛」を育むだけの書になってしまいます。 ニーチェは文学者の必携だそうですが、哲学的にはもう既に古いということを知ったほうが良いでしょう。 ちくま文庫からも「ニーチェは今日?」という本が出ていますし、 ニーチェの解説本は日本だけでなく、世界的にも星の数ほどあります。 また、倫理の教師が高校時代言っておりましたが、 ニーチェ哲学は若者受けしやすいのも事実です。 何故なら、「厭世」「闘争的」「自己超克」「既成価値の破壊」といった如何にも10代後半から20代前半が好みそうなキーワードがいたるところに散在しているからです。 ニーチェは師ショーペンハウエルと同様、厭世と格闘した哲学者ですが、文体から溢れ出ている熱気は、まるで大江健三郎の「セブンティーン」に登場する左翼少年の魂さながらです。 私はニーチェから哲学に惹かれましたが、ニーチェの偶像は、真にニーチェを知るのであれば、打倒されねばなりません。
数学が苦手のニーチェ
ツァラトゥストラの翻訳は何種類も出ているが、詩として訳されているのは手塚のこの本しかないのではないだろうか。もしあるならば、川原栄峰の訳も見てみたいものだが。冒頭のエピグラムの訳を読むだけで、哲学屋さんたちに詩を訳す資格があるかすぐに知れる。 永劫回帰について、この真理の根拠として、ニーチェは元素の種類が有限であるのに対して時間は無限であることをあげている。永遠の時間の流れのなかでは、いつか同一の元素の組合せが生じて同じことが繰返されるというのである。 永劫回帰の表象として、幼いころ耳にした神秘的な犬の遠吠えの記憶を提示するなど、ニーチェの詩人としての腕は確かではある。 しかし、遠山啓は「数学入門」だか「無限と連続」だかで、0と1のたった2種類の数字でさえ、同じ繰返しを出さずに無限に並べられることを証明して、永劫回帰の説は数学的にはなりたたないとからかっている。 プフォルタ学院でのニーチェの成績記録によれば、特に数学に弱点ありとのこと。
詩人ニーチェは読みやすい!
ニーチェは専門家たちには余り評判がよくないらしい。論理的な飛躍があり、矛盾したことも平気で語っている、というのだ。だから解釈も実に多様だ。ヒトラーの誤読もあったし、「神を殺した」筈の彼の思想をバネにして、キリスト教を立ち直らせようとする動きもあった。ーー解釈が多様だというのは文学作品ならむしろ好ましいことなのかもしれない。だが、理論的な思考がこうであっては困る。数式に答えが複数あったりしたら、これはもう数学ではない。だから本当にニーチェには、哲学者としては致命的な欠点があるのかもしれない。 でも、ニーチェは詩人でもあった。というより、私は彼が論理的なものを軽視したとは思わないが、彼はそれ以上に詩人だったのだと思う。「ツァラトゥストラ」などはまさに詩人の手になるものだ。「超人」だの「運命愛」だのなかなかのキャッチコピーだし、ちょっと劇画調すぎてこちらが気恥ずかしくなるくらい。 専門の哲学者たちはともかく、ニーチェの文学者たちからの受けはいい。これは文学書ではない、とわざわざ註を入れて「ツァラトゥストラ」を必読書に挙げている文学者の数は知れない。 「ツァラトゥストラ」は文学書として読んで一向に構わないと思う。それに、−−こんなことを書くと怒られそうだが、ニーチェほど読みやすい哲学者はいない。
中央公論新社
ロダンの言葉 (講談社文芸文庫) 座右のニーチェ (光文社新書) カーネギー自伝 (中公文庫BIBLIO) 道徳の系譜 (岩波文庫) 風姿花伝 (岩波文庫)
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